広告=悪、という認識について

abstract

ネット広告のありかたについてぶつぶついいますが特に結論などはありません

本文

おれが広告嫌いなのはユーザビリティを損ねるからで、損ねないならいくらでもいれてもらってかまわないんだけどユーザビリティを損ねない広告ってあったとしても存在を認識しづらいのでユーザビリティを損ねる種類の広告ばかり印象に残るので広告=ユーザビリティを低下させてユーザに苦痛を与えることで収入を得る=邪悪みたいな印象になってる。という内容をtwitterにpostしようと思ったら140文字超えてた。
まあ広告広告っていうと広告全般みたいだけどここでいうのはネット広告、のなかでも特にバナー貼ってユーザのアテンション奪う系の。あるいは広告じゃなくても商用サイトにおけるページ内の不要な領域全般(デザインの失敗でそうなってるというよりSEOだとか広告的な理由でそうなってるケースが多いという印象がある)を「広告」のひとことに代表させてしまってるという(だから先日のエントリは100ブクマも集めたのかなー、と今思った。ツッコマレビリティ高い)。
ネット広告は興味なかったらスルー可能だからいいみたいな意見にはは全然同意できなくて、ユーザが本来見たい情報の隣に不必要な情報が目立つ形で表示されてたら絶対ユーザビリティ下がるだろという。スルーは可能だけど全然よくない、スルーコストが高すぎる。静的なテキストで構成された記事の真横にあるflashアニメーションを意識しないまま何のストレスもなく無視できるような能力の高い人ばかりだったらadblockとか流行ってないよ。
じゃあどうすればいいのか、というとほんと難しくて。現実的な解としては製作側はこのままの路線で行くので広告が不要なユーザはadblockすればいいんじゃないですかね、なのかもしれないけど、「広告消す人=広告不要な人」は言えても「広告消さない人=広告必要な人」は言えない、それどころか広告消すという選択肢があること自体知らないユーザが大半のはずで、無知なユーザからユーザビリティを搾取してる構図にもみえる。かといって全ユーザに広告消せる選択肢を提示すると(前回のエントリの「IEにうざいコンテンツを消すボタンがついたら」云々はそういう意図)消す選択肢を選ぶユーザが増えすぎて今の収入モデルが代替なきまま破綻するんじゃないかなーって予感がする。「会費を払って広告を消そう」モデルはそもそもwebがユーザサイドで自由にカスタマイズできるアーキテクチャである時点で破綻するか無知なユーザから搾取する構図、そもそも大量の個人から小銭をダイレクトに徴収できるシステムってうまく機能するんだろうか?会費を払わないとそもそも見られないモデルは別の意味で邪悪だと思っているし(検索不可能なところにデータ置くのは邪悪)、結局のところ「収入を得るためにはユーザビリティを犠牲にして広告を表示する必要がありますがそれがユーザビリティを損ねているという自覚をもってください、できればユーザビリティをなるべく犠牲にしない方向でお願いします」としか言えんね。誰にお願いしてるのかよくわからないけど。というかそのへんは考慮されたうえでの現状なんだろうしなー、どうなるべきなんだろうなー