エディタのカスタマイズにこだわるのは生産性より快楽の問題ではないか

PC操作してて、「こんな定型処理手動でやりたくないな」とか「キーをいっぱい叩くのが面倒だな」といった気づきがあったとして。
それを修正したいと思うのは、生産性が上がるからじゃなくて(ゲームの生産性は負だけど、それを修正したいとは思わない)「不快だから」。
ちゃんとしたスクリプトが載ってるエディタは、いくらでも「気持ちよくできる」。カスタマイズすればするほど手になじんで、直感的に最短キーストロークで作業をこなせる。
で、気持ちよさと生産性は必ずしも直結しないことはゲームの例を挙げるまでもなく明らかなわけだ。
コードの最適化に関して、80:20の法則だとか「最適化前にプロファイルしろ」なんてよく聞く。あるいは「最適化しないのがもっともよい最適化だ」とか。
要は効果を見極めない最適化はやるだけマシってことだね。
さて、ここに「超汎用現実プロファイラ」なるものがあって、エディタ使用者の総合的な生産性を計測できたとしよう。
カスタマイズに命をかけてるvim/emacsユーザの何割が生き残れるのかを考えると大変恐ろしい気分になってきたので考えるのをやめた。